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地球の潜り方

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その19 =YAP旅行記=

 2005年の黄金週間は4月30日から5月6日までの日程でヤップ島へ行った。

 ヤップ島は小中学校時代に「石貨のある島」として習ったし、ダイビングが出来ることも後々知った。今回ヤップに行くことにしたのは、近年特に一般観光地化しつつあるパラオと比較して遙かに素朴であること、筆者の母方の祖父(旧海軍勤務:マーシャル旅行記参照)が生前立ち寄っていた可能性があること、及び、ヤップに行くことによりコスラエとクワジャリンを除くミクロネシアのダイビングスポットをほぼ制覇することになるためであった。
 以下は今回のヤップ行の概要である。

1:オーバーブッキングでヒヤリの巻
 4月30日(土)、CO962便で成田を出発しグアムにはほぼ定刻に到着した。乗り継ぐのはC0953便・ヤップ経由パラオ行きである。グアムの乗り継ぎが以前にも増して時間がかかるようになったのには閉口したが、それも何とか済ませてそろそろ腹ごしらえのためにバーガーキングに行こうと思ったら、次のような放送が入った。
”CO953便にてパラオへ出発のお客様に申し上げます。本日CO953便はオーバーブッキングのため、お席を譲って頂けるお客様を捜しております。お席を譲って頂いた方には、グアム2泊分の宿泊先を提供し、食事代も負担致します。明後日5月2日の夕刻に当空港を出発して頂きます。これに加えまして協力金と致しまして現金200US$または200US$相当のコンチネンタル航空旅行券を差し上げます。”
 何ということだ!こんなところでオーバーブッキングとは!男の一人旅など真っ先に切られる対象に違いない。バーガーキングに行っている間に呼び出しが入り、「あなたは呼び出しに応じなかったので降機して頂きます」などと言われたら大変である。腹がグーグー鳴っているがここは我慢し搭乗口から離れないことにした。その後しばらくして、日本人1名が申し出たため、一件落着かと思いきや、それでは済んでいなかった。
”繰り返しCO953便にてパラオへ出発のお客様に申し上げます。本日CO953便はオーバーブッキングのため、あと3名お席を譲って頂けるお客様を捜しております。お席を譲って頂いた方には、グアム2泊分の宿泊先を提供し、食事代も負担致します。明後日5月2日の夕刻に当空港を出発して頂きます。これに加えまして協力金と致しまして現金300US$または300US$相当のコンチネンタル航空旅行券を差し上げます。”
(ここで、アナウンスは何故か”パラオ”とだけ言い、”ヤップ及びパラオ”とは言っていない。何故だろうと思ったが、この理由はヤップ到着後に明らかになる。)
 協力金が300US$に引き上がったため、搭乗口では一瞬笑いが起こったが、笑ってもいられない。3名のうちの1名として、自分が指名されてしまう可能性は否定出来ないからだ。頭の中では「ヤップのホテルや旅行エージェントへの連絡費用は負担してもらえるのか?」「グアムで1日潜れるので何処に申し込もうか?」等々を考え始めた。しかしそうしているうちに3名の方が申し出てオーバーブッキングは解消した。CO953便はほぼ定刻通り出発し、機内で出たスナック(サンドイッチ)をあっという間に平らげたのであった。

2:ヤップ到着の巻
 ヤップ空港着後、入国・通関を済ませたところで、今回お世話になるヤップダイバーズのガイドである松岡秀樹氏が待っていた。
 松岡氏にオーバーブッキングの件を話したところ、「パラオ便は毎日ありますがヤップ便は週に3便です。よって、ヤップで降機する旅客に対して席を譲れということはまずないでしょう。」との答えが返ってきた。これで、グアム空港のアナウンスが”パラオ”とだけ言い、”ヤップ及びパラオ”とは言わなかった理由がはっきりしたのであった。

3:レストランシップの巻
 空港から車で約15分で宿泊ホテルであるマンタレイベイホテルに到着した。腹ぺこであったので何か食べることにした。聞くと間もなくレストランの営業終了時間とのことなので、レストランに駆け込んだ。
 このホテルのレストランは建物にはなく、ホテル脇につなぎ止めてある帆船である。ホテルの経営者(アメリカ人のビル・アッカー氏)がインドネシアで運行していたものを購入したのだそうで、機関類は取り外されており、外洋を航海することは出来ない。なお、同型船は今でもインドネシアで運行しているそうだ。構造上床が水平でなく、船首や船尾に近づくほど傾斜がきつくなるが、グラスが倒れるほどではない。このようなレストランシップは初体験であった。
 営業終了時間に近かったのでスープを頼んだ。パンが付いたスープが4US$であったが、これが旨いのであった。

4:ヤップで最も有名なインスタントラーメンの巻
 既に世界食となったインスタントラーメンだが、もちろんヤップでも売っている。高い日本製でなく中国製か韓国製が主だろうと思ったのだが、ガイドの松岡氏によると「サッポロ一番」が「NO.1ラーメン」として親しまれているのだそうだ。(”一番”だから”NO.1”である)
 上述のレストランでもインスタントラーメンを使ったメニューがあった。具は我々がインスタントラーメンを家庭で食べる際に入れるものに近く、違和感はあまりなかった。洋食はあまり食べたくないというときにはよいメニューであった。

5:国際色豊かなゲストの面々の巻
 今回分かったのは、ヤップに来る観光客は思ったより国際色豊かであることだった。
 地理的条件等から見てアメリカ人ばかりと思っていたが、それは昔の話で、最近はヨーロッパからの観光客が多くなり、来訪者数ではアメリカ人とほぼ同じになりつつあるそうだ。
 実際、ボートで一緒になった外国人は英国人、スイス人、ロシア人*)で、ダイバーでない観光客にはオランダ人もいた。5月3日からはドイツ人の団体(旅行業者の団体)も加わった。
 アメリカ人も来てはいたが、その中にモルモン教徒らしく暑い中でもYシャツにネクタイ・スラックス姿の一団がいた。アメリカ人の服装を見て暑苦しいと思ったのはこれが初めてであった。
 ちなみに日本人観光客の数であるが、近年は年間数百人程度で推移しているようである。1日当たり2人に満たない数である。グアムからの飛行機が週3便であるので、平均すると、1便来ると日本人が数人来る勘定になる。
*)モスクワから来た金持ちのお嬢様(?)だった。何処を経由してきたのかと聞いたら、ドバイ、マニラ、パラオ経由で来たとのことであった。ヤップで1週間潜った後でパラオで潜ってから帰るという。何とも優雅なものだ。

6:ヤップのジャーマンチャネルは潜れない!の巻
 マンタレイベイホテルは島の東側にあるが、ここから島の西側にある有名なマンタポイントであるミルチャネルに行くには、ボートは島の中央部の水路を通過していく。
 この水路はヤップ島の観光地図にも明記されており天然の水路だと思っていたのだが、何とドイツ統治時代に作られたものだそうである。幅は狭くしかも非常に浅いので、干潮時にはボートが底を擦ってしまいそうになる。もちろんスピードは出せず、水路の両側のマングローブを見物しながらゆっくり進む。この水路の名前が何と”ジャーマンチャネル”だそうである。パラオのジャーマンチャネルと違い生活水路であり潜ることは出来ない。一瞬西表島を思い出すのであった。

7:マンタに巻かれる!の巻
 上述のミルチャネル付近では、ボートの上からマンタが泳いでいるのが確認出来た。時々は水面まで現れて、シュノーケリングでも十分に堪能出来る程であった。(但し、絶えずこのような状況ではないとのこと。)
 ミルチャネル付近で4本潜ったが、耳と鼻の調子が本調子ではないこともあって、あまり深いところへは行かず、中層を維持していた。
 そこへ雌のマンタを先頭に7枚のマンタが一列縦隊で現れた。求愛行動に出くわしたのであった。通常マンタを見るといえば、クリーニングステーションでじっと待っていてマンタを見上げるというのが多いが、ここではマンタを見下ろす形になった。
 マンタが真正面から向かって来たときにはヒヤリとしたが、そこは野生動物なので衝突などという間抜けなことはせずサッとよけてくれた。しかもよけた後で自分の周囲をグルグルと回り始めたのであった。筆者のまわりからいなくなったと思ったら他のゲストのまわりを回り始め、合計して約30分もの間、求愛行動を観察することが出来た。カメラを持っていた人は水中で目が回る寸前なのであった。

=※=

 この時に一緒になった方が撮ったと思われる写真がマリンダイビング(2005年8月号)に掲載されている。

8:1年ぶりの再開の巻
 5月4日朝の便で日本人の御夫婦が来られたが、何処かでお会いした記憶がある。思い出してみると、2004年のこの時期にポンペイ(ポナペ)へ行った際に現地で一緒になった御夫婦であった。お互い偶然の再会にびっくりしたのであった。
 御夫婦に「行くところが似ているから今後もお会いするかもしれないね」と言われたのだが、確かにそう思うのであった。

9:日本の長者登場の巻
 5月3日午後に、ホテルに日本人の一団が到着した。高齢の御婦人もいらっしゃるので、旧島民の来訪かと思ったのだが、ガイドの松岡氏に尋ねると「日本の納税者番付で上位にいる方のご家族です。自家用機で来られました。」という。【筆者注:氏名等はここでは明記しないことに致します。】
 日本にもこのような人がいるのだ。それにしても自家用機が普及しない(そのような土壌がない)日本でどうやって維持するのだろうと思ったが、機体も乗員(機長、副操縦士、アテンダントの計3名)は普段はグアムにいるという。さすが自家用機先進国のアメリカである。
 この方たちは翌5月4日夕刻にヤップ島を発っていった。飛び立った機体を見たが、大陸間飛行も可能な機体であった。(ノエビア化粧品のCMを思い出して下さい。)

10:さいごに
 「ヤップと言えばマンタウォッチング」が宣伝文句であり、確かにその通りで多くのゲストがそれを求めてやってくるが、マンタウォッチング以外のダイビングはもちろんあり、ドロップオフ沿いの
 ドリフトダイビングやマクロポイントもある。但しパラオのような訳にはいかない。あれもこれもと求めず、素朴な雰囲気が好きな方にはお勧め出来る場所の一つである。
 ホテル(マンタレイベイホテル)の食事は量は多いが日本人の口に比較的合うものであった。これはシェフがフィリピン人ということもあると思う。筆者は毎日おいしくいただいた。
 なお、ヤップ島は今のところ(2005年春現在)ラジオのみでテレビが映らない。(但しホテルの部屋にはテレビがあり、フロントでビデオを借りて見ることが出来る)毎日のニュース番組からも解放されたい方にとっては良い場所であろう。

 おわり

文責:折原 俊哉(会員)

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