地球の潜り方
その7 =余暇と利便性=
旅行に行く際、殆どの人は、時間と金額と都合を考える。これは当たり前である。
これに関連して当たり前と思われる事項には下記のものがある。
1.決まった休暇である盆暮れ正月は混雑する。
2.今まで不便だったところが便利になったので人が集まる。
しかし、便利になるはずのものが、皆がそれを使うことによって不便になってしまうことがある。昔から言われている事で見ると、列車より車が便利だからと言って皆が車を使うと交通渋滞になるというのが代表例だ。
便利になるということは何かをここで改めて考えてみる。筆者の手元に三省堂国語辞典があるので、「便利」で引いてみると、「すぐにまにあって、つごうのよいこと」とある。
では、「すぐにまにあって、つごうのよいこと」が必要とされる状況は何かを考えると、結局は時間と金が不充分であるという状況に行き着く。時間か金が充分にあれば、すぐに間に合わなくとも少々不便でも許される。あまり当てはまらないかもしれないが、原則はその筈である。
では、「すぐにまにあって、つごうのよいこと」がどんどん広まっていくと何が起こるか考えてみると、それまでの”秘境の地”が、「人が多い」、「落ち着かない」、「昔の良さが無くなった」、「自然破壊だ」といったことを言われるようになる。
普通の勤め人であれば、盆暮れ正月以外に長期休暇をとるのは新婚旅行などを除けば難しいであろう。よって”秘境の地”に盆暮れ正月以外に行くのは難しい。だからといって”秘境の地”にいとも簡単に行けるようにすると、上記のような問題が起きるに違いない。
人間活動の殆ど全てが環境破壊につながるというのは非常に悲しいが、これが現実である以上、余暇と利便性がどこか適当なところで折り合ってくれないかと思うこの頃である。
筆者は極端な労働時間短縮主義者ではなく、長時間労働信奉者でもないが、人間の体力という限界がある以上、どこかで休暇は必要であるし、また仕事をする動機としてのストレスも必要と思っている。「三度の飯より仕事が好き」と言う人で実力も伴っている人に対しては、割増賃金を払うべきだろうと思う。
最近の記事で「ハッピーマンデー法の施行により、有給休暇取得率が落ちた」と出ていたが、日本人の特性上、国がお膳立てをしても休暇をとれないものはとれないし、とらない人はとらないから仕方がないかと思う反面、「このままではいつまでたっても日本人は”大人”になれない」と思うこの頃である。
”仕事と余暇の計画を立てた後は集中してギュッと働いて、区切りがついたところで計画通りパッと遊ぶ”といったことがあまりためらいなく行われるような社会が実現することを願いたい。
文責:折原 俊哉(会員)